旧泉クラブの一つ前の建物は、市村羽左衛門が生前「住居兼稽古場」として使用していました。
本名は市村 録太郎。時代を代表する美男子で、そのあまりもの美貌から「花の橘屋」と言われていました。 江戸っ子気質で粋な御仁。
戦局が激しくなり、東京の空襲が日常的な頻度となると、長野県湯田中温泉に疎開。
昭和20年5月6日、歌舞伎座での復興再開に際して「勧進帳」の「富樫」の役を務めることを
承諾した直後、心臓麻痺のため湯田中温泉「よろず屋旅館」にて死去。
フランス系アメリカ人のチャールズ・ルジャンドル。 この御仁は明治政府に雇われた外交官。
池田絲(いけだ いと)旧福井藩主 松平春嶽(まつだいら しゅんがく)の子。母親は腰元で、絲を生むと 「奥方様に申し訳ない」と言って絲のお七夜に自害してしまう。
赤子の絲は役人の池田氏に預けられ、他の家臣達にも支えられながら東京で暮らすも松平家からの支援もなく生活は 苦しくなる一方だった。一生懸命尽くしてくれる養父一家や家臣達にこれ以上迷惑はかけられないと思い、絲は深川の芸者になる。 芸者になった絲は幸か不幸か、休暇の途中で来日していたチャールズ・ルジャンドルの目にとまる
外国人と一緒にいるだけでラシャメンと言われ蔑まれた時代、まして芸者といえども松平春嶽の血を引くため、 絲や周囲の人たちの承諾を得るのは大変だったようで、大隈重信や陸奥宗光まで出てきて説得にあたった。 絲とルジャンドルについては殆ど資料がない。
文政11年9月2日、徳川御三卿の田安家三斉匡の八男に生まれる。
母は閑院宮家木村某の娘礼井。幼名を之丞。12代将軍家慶の従弟であり、天保9年11歳の時、 将軍の命で越前福井32万石の藩主・松平斉善(なりさわ)の養子となり病没後を継承、第16代藩主に就任。 家慶の一字を賜り慶永、元服して越前守を称したが、生涯愛用の雅号「春嶽」の方が有名である。 徳川慶喜を補佐して幕政改革を進めた御仁。